自分が師事する林英臣政経塾の林塾長からのメルマガの一部をご紹介させて頂きます。来年は自分も50歳に到達することとなり、志を遂げるべく、一層の切磋琢磨をしていかなければならないと考えますが、「全ての因は我にあり」の謙虚な気持ちを持ち続けて活動して参ります!
-------------------(以下引用)----------------------
林塾から5名が代議士になったこともあり、塾長である綜観の仕事も増えてきた。
なお、5名の当選に対して、多くの皆さんから祝電やメール、電話などを頂いた。皆々様から頂戴した応援に、心から感謝御礼申し上げる次第なり。
だが、よくやったと思うと共に、中には運と気迫だけで当選した者もおり、本当に「勝って兜の緒を締めよ」だ。
◇落選の原因を、外的要因だけに求めていないだろうか◇
落選者も2名いる。落胆しているところへ厳しい言い方だが、これを機会に、自分という人間をよく見つめ直して欲しい。
通らなかった理由を外的要因に求めて、それでよしとしてはいないだろうか。原因には、表層から深層に至るまで、段階というものがある。表層レベルの反省だと、どうしても他人や環境など、条件に敗因を求めることになる。有力候補の支持者と自分の支持者が重なってしまった、知らない土地への落下傘だった、運動期間が短かった。だから負けて当然なのだと。
それに対して深層になるほど、失敗の理由が自分自身にあることに気付かされてくる。辛くとも、そこに思いが至らない限り、今後の成長は難しいだろう。「全ての因は我にあり」というところまでいかないと、似たような失敗を、選挙以外でも繰り返す恐れがあるのである。
◇選挙は、周囲に多大な迷惑を及ぼす総力戦だ◇
反省と言ったが、反省の「反」には手のひらを返す、「省」には目でしっかり見るという意味がある。手のひらを返すように目を己に向けなければ、反省にはならないのだ。外的要因ばかりに目をやらないで、素直に自分を振り返ってみよう。
そして、「省」には省く(はぶく)という意味もある。省力、省エネの省だ。則ち、要らないものを省いてこそ、反省の証となるのだ。一つも省いていない内は、何も反省していないのと同じである。政府の○○省というのも、不要な仕事を省いてこそ、省の名に値するのだろう。
選挙は、周囲に多大な迷惑を及ぼす総力戦だ。ボクシングや空手の試合の応援に来て貰っているのとは、わけが違う。自分一人の戦いではないのだから、しっかり反省して次の戦いに備えよう。そうして一回りも二回りも大きくなって、応援した人々の努力に報いて欲しい。伸びしろは絶大なのだから。