8月は人類史上初めて、1945年8月6日に広島、9日に長崎に原子爆弾が投下され、一瞬にして30万人近い人々が犠牲となり、そして15日には日本がようやく連合国側のポツダム宣言を受諾して終戦を迎えたことから、何かと主に太平洋戦争にまつわる話題がメディアなどに出てきますが、どれもその悲惨さを物語るものであり、そのたびに二度とこのような無益な戦争が起こらないように、日本および日本人は世界に向けて発信、行動していかなければならないと痛感します。
写真は、ポツダム宣言のための会議が行われた
ツェツィーリエンホーフ宮殿。先月、アウシュビッツ強制収容所を訪問した帰りに、ベルリンから車で30km離れた当地を訪問してきました。
宮殿は比較的コンパクトで簡素な印象。そもそも会談はベルリンで行う予定だったのが、あまりにベルリンの街が破壊されつくして適当な場所がなかったことから、急遽この宮殿で行われたそうです。
宮殿内は当時のまま保存され、各国首脳が集まった会議室や、彼らが座ったであろう椅子などもそのまま。
ここで歴史的な会談が行われ、日本の敗戦、終戦が決定的となったかと思うと感無量でした。願わくば、その受諾を即していれば、広島、長崎への原爆投下はなかったかと思うと残念でなりません…。
-------------(ウィキペディアより抜粋)-----------------
ポツダム宣言(ポツダムせんげん、
英:
Potsdam Declaration)は、
1945年(昭和20年)
7月26日に
アメリカ合衆国大統領、
イギリス首相、
中華民国主席の名において
大日本帝国(
日本)に対して発された、「
全日本軍の
無条件降伏」等を求めた全13か条から成る宣言である。
ナチス・ドイツ降伏後の
1945年(昭和20年)
7月17日から
8月2日にかけ、
ベルリン郊外
ポツダムにおいて、米国、英国、ソ連の3カ国の首脳(
アメリカ合衆国大統領ハリー・S・トルーマン、
イギリスの首相ウィンストン・チャーチル、
ソビエト連邦共産党書記長ヨシフ・スターリン)が集まり、第二次世界大戦の戦後処理について話し合われた(
ポツダム会談)。 ポツダム宣言は、この会談の期間中、米国のトルーマン大統領、イギリスのチャーチル首相と中華民国の
蒋介石国民政府主席の共同声明として発表されたものである。